この子の笑顔を大切にするために

わが子に軽度障害があることがわかってから。普通級か支援級か、うちの子“普通”じゃないの?悩みながらの子育て&親育ちの思いの記録。

母の日の肩たたき

母の日。私は肩たたき券やお手伝い券を嬉々として作る子供でした。そこまで感謝していたかは正直不明ですが、そうすることで母が喜んでくれることを知っていたから。母が喜ぶのが嬉しくて、手作りの折り紙カーネーションなど一生懸命作った記憶があります。

対して我が息子は、幼稚園や小学校で母の日の何かを作ってきても、それを私に渡せば喜ぶだろうといった想像力がないのか特にアクションもなく。しびれを切らした私が「あ、こんなの作ったんだね♪」と驚いて見つけたふりをしても、「うん。」で終わり。今思えば、手先が人一倍不器用だった息子にとってはカード作りや工作は苦痛以外の何ものでもなく、それが母の日のプレゼントであるという意識そのものが無かったのかもしれません。

良くも悪くも取り繕えない子なので、私のことが大好きなのはわかっているものの、他のお母さん達が何かの折に子供からのサプライズや優しい言葉に成長を感じて涙した、というような話を聞くと、うちの子はやっぱりそういう感性が普通の子とは違うのかな、ASDの特性もあり自分の世界が大きい息子にとって、他者がどう感じるかを慮るのは難しいようで、そういうのはうちは一生無いのかもと思い始めていました。

 

そして今年の母の日、義母へのプレゼントにお花を買いに行った際。冗談めかして「ママは何がもらえるのかな~」と一緒にいた息子に言ったところ、ちょっと考えて。

「肩たたき100回するね」とその場で肩たたきをはじめ、本当に100回以上叩いてくれました。私が最近、肩と首が痛いと言っていたからだと思います。

5年生にして初めての母の日らしい?反応をしてくれた息子。相手の望む反応をしようと顔色を伺う子になってはいけないけれど、やはり気持ちは見えないものだからこそ言葉や形で表現する必要もある。自分視点が大きすぎて相手の望む反応とは微妙に違った言動も多い息子ですが、その成長に安心し、素直な優しさの表現にちょっと感激しました。

 

今週のお題「母の日」

子供たちには壁はない

最近思うのは、子供たちには、支援級の子、普通級の子という壁は思ったより無いんだなということ。

子供の外遊びの会のようなものを学校近くの大きな公園で週に一回やってくれているのですが、どうやらうちの子は誰にでも屈託なく「一緒にやろうよ~」と声をかけているらしく、終了時のお手伝いに行くといつも、学年もクラスも関係なくごちゃごちゃにハンモック等に入って楽しそうに遊んでいます。
未就学の小さい子なんかもよく相手してくれてますよと主宰の方に言われ、ひとりっ子の超甘えん坊なのに?!と驚きましたが、これは支援級で下級生のお世話や引率をする機会が多い賜物だなと思います。
こういう外遊びの会などに積極的に参加するお子さん(ご家庭)達だからこそ、考え方もおおらかで差別的な言動も少ないのかもしれませんが。

またこんなこともありました。
たまに遊びに来ていた普通級の4年生の子で、支援級の6年生の子に向かって、今習っている算数の内容を「俺はもうこんなのやってるけど。こういうのは習わないんでしょ?」と明らかに馬鹿にしたように話す子がいました。
「支援級でも小学校の算数の内容は全部ちゃんと習うんだよ。やる順番は違うけどね(基礎のみになりますが実際そうです)」と説明しましたが、支援級の子はカチンときていた様子で(LD傾向のみでコミュニケーション力はむしろ年齢以上の子でした)、後からどうもその二人は揉めたらしいと聞きました。
どちらもうちの子とは普通につき合ってくれていますが(うちの子は良くも悪くも気付かない子)、普通級の子は、上級生と鉢合せする可能性のある私の家には来なくなりました。

こちらのケースは、壁というよりは、おそらく大人の刷り込んだ「支援級の子は劣る」という情報を鵜呑みにして馬鹿にした結果、年下のくせに馬鹿にするなと逆にやり込められたかなと思います。ある意味実に健全な男子同士のやり取りだなとその話を他の子から聞いた時には感じました。(うちの子はそういう他者の関係性に全く興味がないので、情報は常に周囲から入ってきます(苦笑))

多分、子供同士は色々な個性の子供として、特に壁や逆に腫れ物に触るようないらぬ気遣いもなく、時にはぶつかり合いながらごちゃごちゃと上手に暮らしていく力があるのです。
大人が吹き込む差別的な言動や、気遣いに似た憐れみ、区別、そうした大人の事情に毒されて、壁が作られていく気がしてなりません。

あさイチの特集より

NHKあさイチ不登校の特集をしていて、夏休み明けで少し学校へ行きたくないモードだった我が子のことを考えながら視ていました。
2年生頃の方がほぼ毎週末そういうモードで心配でしたから、今の我が子は単に夏休み遊びすぎた反動だな(笑)という感じではあります。
とはいえ、やはり思春期にはただでさえ色々難しいらしい男の子。小学生のうちは大丈夫でも、中学以降ハンディを抱える我が子にとって他人事ではなくなる可能性を考え、情報のひとつとして覚え書きを。

・ありのままでいいと親が本気で思える(不登校状態であろうがなかろうが大事な我が子)
・未来の我が子より今の我が子(ここにいない“未来の我が子”への期待や親の焦りが不登校児を苦しめる)

ここまで書いて、あれっ?と気づきます。これって“不登校”を“障がい”に置き換えれば、発達障がい児の育児で大切なことと全く同じでした。
他に気になったキーワードを数点。

・子への期待は決して悪いものではない。しかし、今の我が子を認めずに未来への期待ばかりを口にしていたら、親子関係が破綻する。
・第三者から認められることが、本人の自信になる。(親子関係以外の要素を取り込む必要性)

不登校状態の時は、既に本人は悩み疲れて体力気力がゼロまで落ちている状態。それを無理に動かそうとしても壊れるだけ。なにがなんでも学校へ行かせなきゃ!という考えを親が一度捨てる。安心できる環境で回復させればいずれ学校に向かう気力も沸いてくる。

番組ではフリースペースなどの学校以外の居場所で自信を取り戻したケースや、言葉が足りなかった父親が本音を話してくれたおかげで自分を認められるようになったケース(これはまた別の問題が潜む気はしますが・・・)などが紹介されていました。
多分定型発達で知的な問題もなく、少し親の気持ちなどを強く読み取れてしまう“いい子”が陥りがちな不登校パターンを今回は特集していたので、いじめなどで不登校になったケースであればまた別の見方があると思います。
ただ、親の心のあり方というか、大切なことは同じなんだなと。事象に振り回されず、子育ての基本に立ち返ることが大事なのだなと感じました。

自閉症児の力加減

とある相談で、友人の幼稚園児の子供が自閉症で力の加減がわからないようで、我が子に怪我をさせられたので疎遠にしたいが冷たいだろうか?というものを目にしました。

その件では、自閉症児の親があまりにも無責任で謝罪もなく放任のようだったので、疎遠が正解だろうなぁと思いましたが、うちの子も幼稚園の年中時に、あるお友だちを強く押してしまって幼稚園から連絡をもらったことが三度ほどあり、このままだと怪我をさせることが起きる・・・と本当に悩んだのを思い出しました。

どうしてそんなことをしたのかたずねてもわからないと言うばかり、反省をしているのかどうかもよくわからず、何かのきっかけでまた同じことを繰り返してしまう。幼稚園から連絡を受け、途方にくれながら息子を叱りつつ私が涙ぐむのを見て、ママ泣かないでと息子も泣き・・・という阿鼻叫喚の日々があったのでした。

幸い怪我をさせるようなことは起きずにすんだのですが、尻もちをついたお友だちが園服を汚してしまい、慌ててその子のお母さんに謝罪とクリーニング代の申し出をしに行くと、そういうものは要らないけど、あんまり続くようだと本当に何かあったらこちらも困るんで、、、とかなり冷たく言い放たれ(でも母親なら当然の心情だと思います)、それこそ平身低頭謝り倒しました。

言葉で表現できない部分を押すなどの行動で出してしまう、力の加減がわからない、相手が転ぶのが面白い(嫌がっているのがわからない)、条件反射的に繰り返してしまう、など、色々な理由はあったのだろうと思います。しかし理由はどうあれ「人を押してはいけない」その一点で教え続け、行動矯正をしていくうちにうちの子の問題行動はおさまっていきました。

 

特に未就学時期の自閉症児に多い気がしますが、力の加減がわからない、というのは確かにあるようです。自分の身体を自分でコントロールできない問題があるため、妙に握力がなかったり、それでいて無意識の時はものすごい力で握ってしまったり。それがトラブルに結びつくことも。その時我々親がどのように対応するか、自閉症があるから仕方ないではなく、その子の人生を左右しかねない問題だと受け止めて真剣に向き合い療育訓練するかどうかが、その後の展開を変えることも多いのではないかと思います。

 

息子が3歳くらいの時に、母の扇子を壊してしまったことがありました。母が指先の練習にと思って、そーっとね、と言って触らせたにもかかわらず、無理に開こうとしたようです。当時の息子の状態なら予想のつくことだったので、最初は何故触らせたのかぐらいにしか私には思えなかったのですが、貴女が3才の頃にはあり得なかったと言われ、半分喧嘩になりました。私はかなり早熟で器用な子供でしたから、正反対な息子の現実を離れて暮らす母にわかってもらうのは難しく、定型発達児しか育ててない母にはわかりっこない、と思う反面、やはり私の訓練不足なのだろうか・・・だからこの子がこんなになってしまったんだろうか・・・と内心悩みました。

 

そしてもうすぐ一年生になる春休み、今度はてんとう虫を潰してしまう事件?が起きました。

その頃には療育にも通っており、母も息子の発達障がいを理解して接してくれていたのですが、よかれと思って渡したてんとう虫を、これも力加減がわからず握り潰してしまったよう。母がその時に驚いて声をあげてしまい、息子は潰してしまったことより母の反応に驚いていた(ように見えた)らしく、複雑な面持ちで報告してきた母に私もどう返せばいいかわからずにいました。

 

そして、3年生の時に息子がこう言いました。

「僕ね、虫は捕まえないことにしてるんだ。だって僕が触ると潰しちゃうからね」と、さみしそうな表情で。

なぁんだ、ちゃんと色々感じていたんだ、と妙な安心感があったのを覚えています。

「そっかあ、でもそれって幼稚園の頃の話でしょ?今ならきっと大丈夫だよ」と、ちょうど草をのぼっていた二星てんとうをつかまえ、手と手をあわせてふくらませた中にそっと入れてやりました。「あれ、大丈夫だ!」「でしょ。上までのぼると飛ぶよ」

 

そして今、4年生。息子はダンゴムシがお気に入りです。殺さずに上手につまんで持ち歩けることが嬉しいらしい。

「実は最近、時々ダンゴムシを道端でつかまえて学校まで持ってってるんだ。でも、教室には持ち込まないよ。学校の入り口で放してる」と少し得意そうに告白してきました。

 

力加減、いずれ必ずできるようになるはずです。ただ、していいことと悪いことはもちろん、悪気がなくてもよくないこと残酷なことという概念は、きちんとわからせてやることが大切かなと思います。

ただ虫を殺さずにつまめる、それだけで大きな喜びを得られている息子。できるのが当たり前の器用な子供だった私は、そんなこといちいち感じたこともなかった。息子の成長と彼の喜びを一緒に味合わせてもらえて、今、幸せだなぁと思います。

悩めるママたち

今日は、発達に偏りがある子供達を支援・サポートするための勉強に行っていました。

その講座で近くの席に座ったママさんとの話の中で、実はうちは去年から支援級に行かせていて、と我が子の話をしたところ、その方も今まさに「あまり無理させずに支援級に・・・」という話を(おそらく小学校側から)されていて・・・。とのこと。

 

その表情があまりにも辛そうで、ああ、一年前の私と同じかもしれない、何かお話しを聞いたり気持ちをまとめるお手伝いになれないかな、と思ったのですが。

でも3月あたまのこの時期にまだ結論が出ていないということは、支援級という選択をしたくない気持ちがお強いのだと思うし(私もそうでしたから)それを勧められる可能性が少しでもある人とはあまり話したくないかもしれないな、など色々考えているうちに講座の終了時間になり、その方も誰ともお茶したりする気は無い雰囲気でスッと帰っていってしまいました。

 

本当に私も普通級と支援級の選択で悩んでいた時期は、子供のことを話すだけで誰の前でも関係なく泣いてしまい(軽い鬱状態だったのだと思います)、誰とも話したくなかったです。両親とすら。支援級に繋がる全ての話題を拒否していたような時期もありました。どちらが本当に我が子にとって良いのかを、冷静に比べるような心の余裕なんて無かったのだなと今ではわかります。

そして日本の学校(普通級)は問題提起をするだけで、なかなか寄り添ってはくれません。個を尊重する文化の進んだ海外の小学校では、発達障がいの子供達も普通級にいながらちゃんと個別の合理的配慮がなされており、あからさまな区別という悲しい思いをさせられることなく学校で勉強していることを知りました。しかしそういう支援体制がまだ今の日本ではあまりにも遅れているから。だからママ達は、支援級という未知の世界に“追い出される”と感じ、精神的に追い詰められるのです。その時の私自身を振り返ってみても、ただ、うちの子を「普通」のカテゴリから追い出さないで!と叫んでいただけで、頭の中は思考停止していた気がします。

 

子供の発達に偏りがあったり、学校で苦労しているママたちには、とにかく学びの場を見つけて我が子の環境をより良くするにはどうしたらよいかを考え、そこで本当に理解・共感してくれて安心して話せる人を見つけてもらえるといいなと思います。

孤立しないで、我が子をあたたかく見守れる余裕をママたち自身が失ってしまわないように。同じ思いで我が子のために勉強している人達が、探せば意外にたくさんいますよ。

僕がママの子どもで良かった?

「ねぇ、ママは僕がママの子どもで良かったなぁと思う?」昨夜突然、そう尋ねてきた息子。

 

どういうこと?と一瞬ドキッとしながらも「うん。○○がママの子どもで嬉しいよ」「どういうところが嬉しい?」「そりゃいっぱいあるよ。今こうやって一緒にお話しできるのも嬉しいし、ママ~♪ってママを呼んで、抱きついてきてくれたりするのも。可愛い○○がいてくれるだけで、ママにとってはすごく嬉しくて幸せなんだよ」

見る間に満面の笑みになり、嬉しそうに抱きついてきた息子ですが、

「つらいこともあったと思うけど、僕がママの子どもで、よかったこともあったんだね」と、私の腕のなかで言いました。

 

なかなか気持ちなど“見えないもの”を表現するのが苦手な我が子が、突然そんなことを口にした。

私は動揺してしまい、「つらいこと?最近○○のオナラが臭くて困ること?」とつい笑いに紛らせてしまったのですが(最近、オナラはトイレや人に気付かれない場所でするのがマナー!と注意していたところだったので(苦笑))いったい何故そんなことを突然言い出したのか。少し後で落ちついてから聞いても、うーん、なんとなく、、、とのこと。

 

定期的に通っている、医療機関に行った次の日だった影響かもしれません。

今は特に問題なく過ごせているので、その日も最近の学校での様子や、ちょっとした困りごとを本人と先生がお話ししただけだったのですが、初診の頃は私も我が子の障がいを受入れきれず、相談中に涙ぐむ瞬間もあった気がします。

息子には気付かれぬよう頑張っていたつもりですが、人の表情や思惑を読み取るのが難しい特性にもかかわらず、私とは恐ろしいほどに以心伝心な部分がある息子。無意識の記憶に刷り込まれていたのかも。

自分のせいでママが泣いていた。もしそういう記憶になっているなら、本当に可哀相なことをしたと思います。

 

その息子は、普通級に戻ろうかなと冬休み前に言い出したり、やっぱり支援級のままがいいと今は言っていたり。

普通級・支援級という分離教育がまだまだ日本では当たり前で、選択を余儀無くされてしまう現状、今の我が子には支援級での教育がよりメリットが大きいと感じるので、現状維持で4年生に進級する予定です。

 

学習のカリキュラムが普通級とは異なるため成績表も異なり、中学も支援級だと、普通高校の受験は難しいこと。校外学習や調理などの実習が多い分、学習は基本中心で応用までいかないこと。理科と社会を学科としてはやらないこと。

小学校により差はあると思いますが、支援級進級のデメリットは上のような点になります。勉強はこの1年ではっきり言って普通級に比べて大きく遅れています。

しかし1~2年生の勉強も、学校ではほとんど何も聞いてこないまま帰って来るのを私が全て家でやり直し、宿題もつきっきりでなければ一人では出来なかった。そんな大人数クラスでは自力で学ぶことが難しかった子が、そのまま普通級で3年生に上がって果たして今より進んでいるだろうか?少なくとも、帰ったらさっさと宿題を一人でこなし、家での補習無しで授業の内容は理解している現在、むしろ勉強面は大きく進歩したと言えます。

息子の小学校の支援級ではさらに、個人チャートで勉強の進み具合をきちんと管理し、個別学習時間にできるまで繰り返し学習させ、単元の取りこぼしがないようにしてくれるという手厚さ。昔の支援級の概念とは大きく違う、個別支援に特化したクラスであることは確かです。

 

しかも「書く」方の識字障害も疑われる息子には、何度書いても形が定まらない漢字を小一時間も泣きながら書き続けるような宿題から解放され、やりたいことをひたすらやり続けられる時間が手に入りました。

好きなことに没頭する時の集中力はすさまじく、関東周辺の路線図、近隣のバス路線図を覚え、さらにそれをスケッチブックや自由画帳にひたすら書き、路線図や自作のお話の絵を描いたお絵描き帳はゆうに100冊を超えました。

指先が不器用で細かい動きができず、私がピアノを教えようとしても逃げ出してしまった子が、最近キーボードにひたすら取り組んでいると思ったら、探り弾きながらもお気に入りの曲を3曲、覚えてピアノで弾いて聞かせてくれたのです。恥ずかしそうな得意そうな顔をしていたのが忘れられません。

パパにひきずられてなんとなく好きだった鉄道は最近マニアの域に達し始め、筋金入りの鉄道マニアのパパもたまに舌を巻くほど。音楽を記憶する能力は幼児期からちょっと特別だったのですが、駅の珍しい発車メロディーを覚えまくるというなんだか不思議な方向に発揮されたりもしています(笑)

 

ママの子どもでいてくれてありがとう。貴方の成長を見守ることができて、本当に楽しい毎日です。わりと何でも小器用にできてしまった私とは、全く違う成長過程を見せてくれる息子。息子が私を育ててくれているのは間違いありません。

友達付き合い

支援級に編入して、一番変わったのは(そして現在進行形で変わり続けているのは)放課後のお友達付き合いです。

 

運動能力、理解力、コミュニケーション力ともに遅れがちな息子は、近所のお兄さんお姉さんがたまに道で遊んでいても、ボール遊びやルールのある遊びについていけず、家の近くに同年代の子供もいない環境でした。

毎日私と公園へ行き、一人でブランコやすべり台で遊び、たまに未就学の小さい子と一緒になって遊んでいる姿を見ていると、友達と遊びたいんだなぁと感じましたが、つまり2~3才下の子でないと遊びのレベルが合わないということなのか、と愕然としたものです(検査でも2~3年の遅れを指摘されていました)。

 

1年生の最初はまだ周囲も、放課後誘いあってまでは遊んでないよ、と聞いてちょっと安心していたのですが、気付けば皆お友達と誘いあって遊ぶのが普通になっていました。

2年生になった息子に「一緒に遊びたい、誘いたい子はいないの?」「最初はママが連絡してあげるよ?」とまで促しても、遊びたい子はいない、ママとすべり台がいい、と頑なに言い張り、公園で同級生とたまたま合って仲間にいれてもらったこともありましたが、明らかにコミュニケーションが取れていない。1対1なら会話のキャッチボールができるのに、3人以上の集団に入ると、何故か一方的にその場に関係ない話をバーッとしゃべって相手をシャットアウトしてしまい、相手の話が聞けなくなるようなのです。追いかけっこのような単純な遊びなら混じれるのですが、2年生にもなると会話の中でルールや設定が決まってその中で遊ぶようになる。息子はみんなについていけず、本人もそれがわかるようですぐ離脱。次回からその公園を避けて遠方の公園に行きたがるようになったりしていました。

 

その頃の私の思い。『今はまだすべり台で遊んでいても違和感は少ない。でも4年生や5年生になってもこのまま一人遊びしかしたがらず、公園ですべり台をしたがったら?自分で遊びを生み出す力がないから遊具がないと遊べない。でも高学年男子が、一人で遊んで奇異の目で見られない場所なんてあるの?そういう子どもが家に閉じこもりがちになるのがよくわかる。軽い障がいのある子が放課後過ごす場所って、なんて少ないんだろう』と。

 

主人からは、私が公園に着いていくから一人で遊びに行けないままなんじゃないのか、と暗に責められるようなこともありました。

しかし、私が外へ連れ出さなければ家で一人遊びしかしない。本人は別に外に行きたいわけでもないのですから。一人遊びも放っておけばひたすら電車のおもちゃの車輪を動かしドアを開け閉めして・・・・の自閉的な繰り返し遊びで本人は飽きない。いくらでも無為に時間を潰せてしまう。だからせめて身体を動かして新たな刺激を与えたくて必死で連れ出しているのに、あなたは現状がわかってないからそんなこと言えるのよ・・・!と何度喉元まで出かけたことか(笑)

 

そんな普通級1、2年生の頃とは180度違う放課後の光景が、現在息子の周りでは繰り広げられています。

習いごとの無い日は、1年生から6年生までの支援級・たまに普通級のお友達も一緒に我が家に遊びに来て、時に思い通りにならず癇癪を起こしては仲間に入れてもらえないことを学び、時に自分勝手な行動をして高学年の子に怒られ、でもそれぞれ特性があるので、みんなが同じじゃないのが当たり前で自然に許し合えているやさしい子たち。気付けば息子も、家で私と話すのと同じようにお友達とも話せるようになっていたのです!確実にコミュニケーション力が形成されていくのを目の当たりにしている毎日です。

 

以前の記事で、普通級に居続けるメリットとして書いていたことがこちらでした。

『一人っ子で家の周辺にも同年代が少ない環境の中、大人数の刺激は魅力で、実際クラスメートに影響されての変化も見られるので、みんなにつられての成長を期待したい。』

しかし、放課後の変化はそれをはるかに超える効果をもたらしました。多様な子のいる、そしてやはり少し“定型発達”の子と遊ぶのが難しい子が多い支援級だからこその、大きなメリットだと感じます。