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この子の笑顔を大切にするために

わが子に軽度障害があることがわかってから。普通級か支援級か、うちの子“普通”じゃないの?悩みながらの子育て&親育ちの思いの記録。

転入を決めるまで①

実は2学期中に数日間見学に行き、うちの小学校の支援級ではかなり高レベルの療育と勉学の両立がされていることを知り、普通級との交流も思ったより自然な形で頻繁に行われていることもわかっていました。

 

国語と算数の授業は、個人別に細かく達成度チャートが組まれ、各単元を確実にクリアするまでていねいにやって取りこぼしを無くす方法が取られており、全体学習は1~3年生、4~6年生(普通レベル)、5~6年生(高レベル)の三部屋に別れての授業となっていました。

 

さらに個別学習の時間もあり、これは国語算数のプリントに取り組む時間になるのですが、それぞれのレベルにあった個別課題が渡されており、みんな静かに熱心にきちんと課題に取り組む姿勢に驚かされました。

まるで学習塾のように、それぞれ違う質問に対し的確に分かりやすく(×はつけずに○がつくまで導く)アドバイスを入れる先生方にも信頼感が持てました。

 

音楽と図工と体育は1~6年生合同で行いますが、1~2年生はピアニカ、3年生以上はリコーダーと、使う楽器が年次によって違うため、普段の授業の中でも合奏ができている。

高学年のお姉さん達は歌の覚えも早く、それにつられて低学年もたくさんの歌が歌えるようになる。

図工や書道も独創性あるのびのびした作品が並んでいました。

 

体育は、キックベースのようなルールのあるチームプレイをしていましたが、上手な子も苦手な子もとにかく順番が頻繁に回ってくる。苦手だからと隅っこでだらだらして時間をやり過ごすことは不可能。いいプレイをすればお互いに褒め合い、応援も全力でする。高学年のお兄さんの強い球に1年生の子が驚いて泣き出してしまい、先生にしがみつく一幕もありましたが、次のバッターボックスでは赤い目で頑張ってボールをキックし、拍手喝采を受けて嬉しそうにしていました。

 

それ以外には校外学習が年に数回、電車移動なども含むため、準備授業として、持ちものの確認や移動ルートの確認、他校の支援級のお友達の事前予習的なスライドもあり、自分で予定を確認して自分で動くという学習も学校でしてくれるのだなと感じました。

見学日にはありませんでしたが調理や裁縫の家庭科学習もあり、次の調理に使うというカブを日常的にみんなで水やりして育てていました。

 

とにかくどの子も、自分らしくそれでいて社会性もしっかり身に付いているのが驚きでした。

私が行けば、6年男子が見学者用の椅子をサッと用意してくれ、うちの子が6年生になった時それに気付けるかしら・・・(多分無理)と思ったり。

慣らしを兼ねて、息子本人と見学した時も、まだ昼休み時間で外に行こうとしていた4~5年女子達が、見学の子?と尋ねられうなずく息子の手を取り「校庭で一緒に遊ぼう」と誘ってくれ、支援級の先生も一人混じって、ボール遊びをしてくれました。不安な表情で見学に来た息子がたちまち笑顔になった瞬間でした。

 

 

とにかく全てが昔の支援級のイメージとは全く違う。こんなに良い環境で安心できる場所だとわかったのに、結局最後まで迷ったのは、母親である私でした。

 

WISCの結果があまり良くなかったことで、3年生からの支援級転入を、主人はわりとすんなり視野に入れていました。

それまではむしろ、支援ルートだと就職も作業所のようなところがほとんど、収入も自活できるとは言いがたいことになる、と二の足を踏んでいて、私の方が療育的観点での支援級メリットを説いて聞かせていたくらいだったのですが、急に積極的になった主人に対し、今度は逆に私が抵抗し始めたという感じでした。(親心って時に面倒で困ったものです)

 

主人の従妹にやはりうちの子と同じ、見た目にはわからないが軽度障害があり、親は普通級で高校まで押し通したものの、結局就職に失敗し作業所へ行った方があったことを、最近知りました。

彼女はたまたま作業所通い中に、大手企業の障害者枠での採用をすすめてもらい、今は職場環境も収入も最高の環境にあるようで、そういったことも支援ルートの方がと主人に思わせた材料だったと思います。

 

またそれだけではなく、現在進行形で主人の勤める会社でも、身につまされる出来事が起きていたようでした。

大卒の戦力として期待していた若手がどうも色々と問題を起こしており、彼も何かあると思う(息子と似た問題が)と心配していたところ、3月いっぱいで会社都合として、実際にはリストラが決まったとのこと。

うちみたいな中小企業はとにかく余力がない、会社としてもせっかくここまで頑張って育てたが、社長も苦渋の決断だっただろうと複雑な表情で話していました。

 

障害者雇用で自分の特性に合った職場に入っていれば、その彼ももっと違っていたかもと思わせられる出来事で、「男子が社会へ出ること」の厳しさを、私より主人の方が肌でわかっているからこその方針転換だったと思います。