この子の笑顔を大切にするために

わが子に軽度障害があることがわかってから。普通級か支援級か、うちの子“普通”じゃないの?悩みながらの子育て&親育ちの思いの記録。

ひとりっ子であること

息子はひとりっ子です。すぐに二人目が授からなかったのもありますが、ある意味産まない選択をしたのに近い状況です。

 

結婚後半年過ぎに息子の妊娠がわかった時、主人がひどく精神的に不安定になりました。確かに二人きりでいられればそれでいいなどと夢見がちなことを言う人でしたが、てっきり喜んでくれると思っていた私は、ショックというより驚きと疑問だらけでした。小さい子供は好きそうなのに、なぜ??と。

 

後からわかりましたが、彼自身が生きにくさを感じるタイプで子供時代にもあまり楽しい思い出がなく、そんな辛い思いをさせるなら子供はなくていいと思っていたところへ、経済的な責任や自分が親になることへの戸惑いなどが一気に押し寄せたため、重圧に押し潰されたようです。

 

お腹の子と主人のメンタルの両方を心配しながら仕事(私の専門の音楽の仕事で楽しかったのですが)もする妊娠中の日々。産まれてみれば慣れない育児に疲れ果て、今考えると母親の勘で我が子に気になる点も出てきていたのでしょう、私自身に二人目を望む気持ちが全く湧かなかったのです。

 

障害があるならなおさら、助け合える兄弟が必要では?という考え方もあると思います。子育て中も「兄弟がいたらもっと違ったかもなぁ」と思うことが多々あります。

でも、私と主人それぞれの精神状態を考えあわせると、うちは息子一人でよかったのだ、と思うのです。

 

息子が最初に発達の遅れを疑われたのは、一歳半健診の時でした。その時は一ヶ月後の観察期間に問題なしとなったのですが、やっぱり何かある?という不安が強かった気がします。

その前から各種アレルギーがひどく、近場の小児科ではさじを投げられてしまい電車で国立病院に通う日々でした。生後四ヶ月からずっと小児アトピーとの闘い、離乳食が始まれば食物アレルギーも始まり、除去食と検査、減感作療法と検査、時期を見ての負荷試験の繰り返し。

そんな中、発達のめやすとして言われる首座り、寝がえり、ハイハイの時期や後追いの有無、全てが少しずつ遅いのに気付きました。

アレルギーに気を取られてやや過保護気味だった気もするし、初めての子育てで私の要領も悪かったのですが、何だか全てが思ってたのと違うなぁ、うまくいってないなぁ、みんなこんなものなのかなぁ?と、今考えると育児に悩むというよりは違和感に悩む日々でした。

 

 育児は楽しい。我が子も可愛い。でもなんか変な感じがして、何かがうまくいっていないような焦燥感。

三歳時健診でも引っ掛かり、療育に通いながら幼稚園に行き始め、小学校入学までになんとか普通級に馴染めるレベルに引き上げたいと、気持ちはいつも何かに追われ焦っていた気がします。

 

今考えると、主人には可哀相なことをしているかもと思います。主婦として衣食はもちろんケアしていますが、結局息子に掛かりきりで疲れ果て、パートナーとしてはあまりやさしくない自覚があります(笑)。(「こうやってボクの人生はみんなに冷たくされて何もいいことないまま終わっていくんだよな~」とたまに拗ねていますが、意外に本音かも。まぁ、私は主人のママじゃないので取り合いませんが(笑))

 

これにもし兄弟ができたら・・・?ますます主人はへそを曲げることでしょう。。。今でさえ私を息子と取り合っている節があるのに。息子も一時的にでしょうが、自分の意思を読み取れるのはママだけだと思っているので、庇護者を取られたと混乱するのが予想できます。それも成長の糧であるとはわかっているのですが、当時の私にはそんなややこしい事態を乗り越える余力がありませんでした。

 

息子が時々「うちには赤ちゃん来ないの?」とか「僕も妹がいたらいいのにな~」と言うことがあり、内心ドキッとしながらも「赤ちゃんは自分じゃ何もできないからママは赤ちゃんのお世話にかかりきりになるよ、そしたら今みたいに一緒に遊んだり好きな時に公園行ったりできなくなるけどいいの?」と言うと「やっぱり今のままがいいね」と納得していて、私も内心ホッとしたりしていました。

 

息子に何かしら障害があるかもと疑いが強くなるにつれ、次の子がもっと重い障害を持って産まれたら?という不安があったことは否めません。自分の年齢も高齢出産といわれる年になり、その思いはますます強くなりました。

もっと言えば、次の子に障害がなくても、その子が成人後、兄への責任を背負わされたと感じたりはしないか、逆に私自身が、障害のある子とない子、本当に分け隔てなく接し育てられるのだろうか、考えれば考えるほど悪い予想ばかりが頭をよぎり、つまりは私自身のキャパシティーオーバーだったのです。

そんな悩める母の元には神様も二人目はお授けにならなかった。

でも、この子が私達の元に授かったということ。その意味を考えながら、焦らず大切に育てていきたいと思うのです。