この子の笑顔を大切にするために

わが子に軽度障害があることがわかってから。普通級か支援級か、うちの子“普通”じゃないの?悩みながらの子育て&親育ちの思いの記録。

僕がママの子どもで良かった?

「ねぇ、ママは僕がママの子どもで良かったなぁと思う?」昨夜突然、そう尋ねてきた息子。

 

どういうこと?と一瞬ドキッとしながらも「うん。○○がママの子どもで嬉しいよ」「どういうところが嬉しい?」「そりゃいっぱいあるよ。今こうやって一緒にお話しできるのも嬉しいし、ママ~♪ってママを呼んで、抱きついてきてくれたりするのも。可愛い○○がいてくれるだけで、ママにとってはすごく嬉しくて幸せなんだよ」

見る間に満面の笑みになり、嬉しそうに抱きついてきた息子ですが、

「つらいこともあったと思うけど、僕がママの子どもで、よかったこともあったんだね」と、私の腕のなかで言いました。

 

なかなか気持ちなど“見えないもの”を表現するのが苦手な我が子が、突然そんなことを口にした。

私は動揺してしまい、「つらいこと?最近○○のオナラが臭くて困ること?」とつい笑いに紛らせてしまったのですが(最近、オナラはトイレや人に気付かれない場所でするのがマナー!と注意していたところだったので(苦笑))いったい何故そんなことを突然言い出したのか。少し後で落ちついてから聞いても、うーん、なんとなく、、、とのこと。

 

定期的に通っている、医療機関に行った次の日だった影響かもしれません。

今は特に問題なく過ごせているので、その日も最近の学校での様子や、ちょっとした困りごとを本人と先生がお話ししただけだったのですが、初診の頃は私も我が子の障がいを受入れきれず、相談中に涙ぐむ瞬間もあった気がします。

息子には気付かれぬよう頑張っていたつもりですが、人の表情や思惑を読み取るのが難しい特性にもかかわらず、私とは恐ろしいほどに以心伝心な部分がある息子。無意識の記憶に刷り込まれていたのかも。

自分のせいでママが泣いていた。もしそういう記憶になっているなら、本当に可哀相なことをしたと思います。

 

その息子は、普通級に戻ろうかなと冬休み前に言い出したり、やっぱり支援級のままがいいと今は言っていたり。

普通級・支援級という分離教育がまだまだ日本では当たり前で、選択を余儀無くされてしまう現状、今の我が子には支援級での教育がよりメリットが大きいと感じるので、現状維持で4年生に進級する予定です。

 

学習のカリキュラムが普通級とは異なるため成績表も異なり、中学も支援級だと、普通高校の受験は難しいこと。校外学習や調理などの実習が多い分、学習は基本中心で応用までいかないこと。理科と社会を学科としてはやらないこと。

小学校により差はあると思いますが、支援級進級のデメリットは上のような点になります。勉強はこの1年ではっきり言って普通級に比べて大きく遅れています。

しかし1~2年生の勉強も、学校ではほとんど何も聞いてこないまま帰って来るのを私が全て家でやり直し、宿題もつきっきりでなければ一人では出来なかった。そんな大人数クラスでは自力で学ぶことが難しかった子が、そのまま普通級で3年生に上がって果たして今より進んでいるだろうか?少なくとも、帰ったらさっさと宿題を一人でこなし、家での補習無しで授業の内容は理解している現在、むしろ勉強面は大きく進歩したと言えます。

息子の小学校の支援級ではさらに、個人チャートで勉強の進み具合をきちんと管理し、個別学習時間にできるまで繰り返し学習させ、単元の取りこぼしがないようにしてくれるという手厚さ。昔の支援級の概念とは大きく違う、個別支援に特化したクラスであることは確かです。

 

しかも「書く」方の識字障害も疑われる息子には、何度書いても形が定まらない漢字を小一時間も泣きながら書き続けるような宿題から解放され、やりたいことをひたすらやり続けられる時間が手に入りました。

好きなことに没頭する時の集中力はすさまじく、関東周辺の路線図、近隣のバス路線図を覚え、さらにそれをスケッチブックや自由画帳にひたすら書き、路線図や自作のお話の絵を描いたお絵描き帳はゆうに100冊を超えました。

指先が不器用で細かい動きができず、私がピアノを教えようとしても逃げ出してしまった子が、最近キーボードにひたすら取り組んでいると思ったら、探り弾きながらもお気に入りの曲を3曲、覚えてピアノで弾いて聞かせてくれたのです。恥ずかしそうな得意そうな顔をしていたのが忘れられません。

パパにひきずられてなんとなく好きだった鉄道は最近マニアの域に達し始め、筋金入りの鉄道マニアのパパもたまに舌を巻くほど。音楽を記憶する能力は幼児期からちょっと特別だったのですが、駅の珍しい発車メロディーを覚えまくるというなんだか不思議な方向に発揮されたりもしています(笑)

 

ママの子どもでいてくれてありがとう。貴方の成長を見守ることができて、本当に楽しい毎日です。わりと何でも小器用にできてしまった私とは、全く違う成長過程を見せてくれる息子。息子が私を育ててくれているのは間違いありません。