この子の笑顔を大切にするために

わが子に軽度障害があることがわかってから。普通級か支援級か、うちの子“普通”じゃないの?悩みながらの子育て&親育ちの思いの記録。

自閉症児の力加減

とある相談で、友人の幼稚園児の子供が自閉症で力の加減がわからないようで、我が子に怪我をさせられたので疎遠にしたいが冷たいだろうか?というものを目にしました。

その件では、自閉症児の親があまりにも無責任で謝罪もなく放任のようだったので、疎遠が正解だろうなぁと思いましたが、うちの子も幼稚園の年中時に、あるお友だちを強く押してしまって幼稚園から連絡をもらったことが三度ほどあり、このままだと怪我をさせることが起きる・・・と本当に悩んだのを思い出しました。

どうしてそんなことをしたのかたずねてもわからないと言うばかり、反省をしているのかどうかもよくわからず、何かのきっかけでまた同じことを繰り返してしまう。幼稚園から連絡を受け、途方にくれながら息子を叱りつつ私が涙ぐむのを見て、ママ泣かないでと息子も泣き・・・という阿鼻叫喚の日々があったのでした。

幸い怪我をさせるようなことは起きずにすんだのですが、尻もちをついたお友だちが服を汚してしまい、慌ててその子のお母さんに謝罪とクリーニング代の申し出をしに行くと、そういうものは要らないけど、あんまり続くようだと本当に何かあったらこちらも困るんで、、、とかなり冷たく言い放たれ(でも母親なら当然の心情だと思います)、それこそ平身低頭謝り倒しました。

言葉で表現できない部分を押すなどの行動で出してしまう、力の加減がわからない、相手が転ぶのが面白い(嫌がっているのがわからない)など、色々な理由はあったのだろうと思います。しかし理由はどうあれ「人を押してはいけない」その一点で教え続け、行動矯正をしていくうちにうちの子の問題行動はおさまっていきました。

 

特に未就学時期の自閉症児に多い気がしますが、力の加減がわからない、というのは確かにあるようです。自分の身体を自分でコントロールできない問題があるため、妙に握力がなかったり、それでいて無意識の時はものすごい力で握ってしまったり。それがトラブルに結びつくことも。その時我々親がどのように対応するか、自閉症があるから仕方ないではなく、その子の人生を左右しかねない問題だと受け止めて真剣に向き合い療育訓練するかどうかが、その後の展開を変えることも多いのではないかと思います。

 

息子が3歳くらいの時に、母の扇子を壊してしまったことがありました。母が指先の練習にと思って、そーっとね、と言って触らせたにもかかわらず、無理に開こうとしたようです。当時の息子の状態なら予想のつくことだったので、最初は何故触らせたのかぐらいにしか私には思えなかったのですが、貴女が3才の頃にはあり得なかったと言われ、半分喧嘩になりました。私はかなり早熟で器用な子供でしたから、正反対な息子の現実を離れて暮らす母にわかってもらうのは難しく、定型発達児しか育ててない母にはわかりっこない、と思う反面、やはり私の訓練不足なのだろうか・・・だからこの子がこんなになってしまったんだろうか・・・と内心悩みました。

 

そしてもうすぐ一年生になる春休み、今度はてんとう虫を潰してしまう事件?が起きました。

その頃には療育にも通っており、母も息子の発達障がいを理解して接してくれていたのですが、よかれと思って渡したてんとう虫を、これも力加減がわからず握り潰してしまったよう。母がその時に驚いて声をあげてしまい、息子は潰してしまったことより母の反応に驚いていた(ように見えた)らしく、複雑な面持ちで報告してきた母に私もどう返せばいいかわからずにいました。

 

そして、3年生の時に息子がこう言いました。

「僕ね、虫は捕まえないことにしてるんだ。だって僕が触ると潰しちゃうからね」と、さみしそうな表情で。

なぁんだ、ちゃんと色々感じていたんだ、と妙な安心感があったのを覚えています。

「そっかあ、でもそれって幼稚園の頃の話でしょ?今ならきっと大丈夫だよ」と、ちょうど草をのぼっていた二星てんとうをつかまえ、手と手をふくらませた中にそっと入れてやりました。「あれ、大丈夫だ!」「でしょ。上までのぼると飛ぶよ」

 

そして今、4年生。息子はダンゴムシがお気に入りです。殺さずに上手につまんで持ち歩けることが嬉しいらしい。

「実は最近、時々ダンゴムシを道端でつかまえて学校まで持ってってるんだ。でも、教室には持ち込まないよ。学校の入り口で放してる」と少し得意そうに告白してきました。

 

力加減、いずれ必ずできるようになるはずです。ただ、していいことと悪いことはもちろん、悪気がなくてもよくないこと残酷なことという概念は、きちんとわからせてやることが大切かなと思います。

ただ虫を殺さずにつまめる、それだけで大きな喜びを得られている息子。できるのが当たり前の器用な子供だった私は、そんなこといちいち感じたこともなかった。息子の成長と彼の喜びを一緒に味合わせてもらえて、今、幸せだなぁと思います。