この子の笑顔を大切にするために

わが子に軽度障害があることがわかってから。普通級か支援級か、うちの子“普通”じゃないの?悩みながらの子育て&親育ちの思いの記録。

本当に望むこと 。普通級から支援級の現実

支援級への転入を決めてから、最初に感じたのは、当たり前のコミュニティからもはじき出されるのだなということです。

 

あえてはじき出されると書くのは、私も以前はそれを不思議に思わなかったのに、自分がその立場になってみたら思いがけぬショックを受けたので自戒も込めて。

 

たとえばPTA。転入を決めたのが遅かったのもあり、来年度のクラス委員・係等の立候補申込書は私にも配られました。

例年、始業式かその次の日には申込書を子供に持たせることになっているのですが、そこではたと、支援級で同じような役員をしていた人はいなかったような・・・と気づきました。

 

PTA活動を嫌がる父兄も多いですが、私自身は子供の幼稚園や学校での様子を知りたいため(把握しておく必要もあり)、わりと毎年何らかの活動に参加していて、その中で知りあいも増え、結婚後この地域に来た私達夫婦にとっては、親を通じて我が子への理解をしてもらえる貴重な機会でもあったのです。

 

たぶん免除の可能性が高いと思い、前期に本部役員をしていた方にお聞きしたところ、やはりそうであるとのこと。

学級の委員・係だけでなく、子供たちの登校時の見守り当番も年2回まわってくるのですが、それも免除になると知った時、なんとも言えない疎外感と淋しさを感じました。

 

委員や係は、人数的なこともあって難しいのがわかります。父兄によっては心理的な負担もあると思います。

でも、見守り当番はクラスや学年に関係なく地域で回ってくるもので、近所の通学路の危険と思われる場所に立って、子供たちを誘導するだけの当番です。

うちの子も私が立っているのを見つけると嬉しそうに登校していきました。

 

きっと車椅子通学など、朝、時間や付き添いが必要な父兄への配慮なのだと思います。

でも、時間的にできるしやる気もあるのに、最初から一律に「免除」されてしまうのは、まるでうちの子が存在しないことにされるような淋しさを感じました。

 

近所のお母さん達には転入を決める前から話をしてあり、皆さん変わらず接してくれているので、場合によっては本部にこちらから参加を申し出ようかとも考えたり。なんだかでしゃばりな人だなと思われそうで、ものすごく気が重いけど・・・

 

学校内では子供は守られるが「区別」される。そうやって分離されてしまうと、地域でもよっぽど努力しないと(でも一体どうやれば?)コミュニティに参加して自然体で受け入れてもらうことすら難しいのだなと。自分が当事者になって初めてわかりました。

 

昨日まで当たり前だった世界が、支援ルートに変更しただけで、全く違う世界になってしまう。息子自身も昨日と今日で何一つ変わったわけではないのですけどね。

支援ルートを勧める教育関係者からはそんなことはないとよく言われますが、それはやはり奇麗事です。逆に療育関係の先生方からはそういう発言はありません。おそらくもっと厳しい現実もご存知なのでしょう。

 

それでも子供の将来を考えて、どちらの道が本当にこの子にとって幸せなのか、この子にとってより厳しい現実はどちらのルートなのか、人の10年後なんてまるで別人なのが当たり前なのに、『今』判断しなければならないから、親は悩むのです。

 

 

 

無理なのはわかっているけど、こうだったらいいのになと、転入に踏み切れずにいた時期にずっと考えていたことがあります。

 

支援級、普通級という区別はなくし、必要に応じて個別学習の部屋に行って授業を受けるが、基本的には自分のクラスにいられるようにしてくれたらいいのになと。

 

一応現在の学校教育でもそれを理想としていますが、現実には療育的な指導も手厚くしながら学習に取りこぼしの無いようにとなれば、理科・社会を学科としてやる時間は取れず、個別学習時間を6学年分の普通級の各学科時間と完全にリンクさせるのも難しく、結果やはり独自カリキュラムで「分離」するしかないのがよくわかりました。

あとは、いじめなどから確実に守れるというメリットも大きいのでしょう。

 

でも、そうした特別な配慮自体が、差別のように感じる親も多いのではないかと。

だからうちの子のような軽度障害の子供を持つ親は、支援級か普通級かで本当に悩むのです。

問題に気づかぬふりをしていれば、ちょっと変わった子、おとなしい子、でとりあえず普通級に行かせることは可能なのですから。

 

少なくとも2年生の学習で、3桁までの足し算引き算に問題はなく、かけ算はむしろ丸暗記が得意な特性上、クラスでも2~3番目に早かったと嬉しそうに報告してきた息子。

それだけ聞けば、どうして支援が必要?と思われるでしょうが、はじめに、で書いたような問題がやはりあるのです。

幼稚園時に通っていた療育で、「でもねお母さん、あるものを無いことにはできないんだからね」と言われた先生の言葉が、良い時も悪い時も深く響いてきます。

 

ここからは本当に夢物語です。あり得ない馬鹿じゃないのただの親のエゴでしょと思われるでしょうが、下記が悩んでいた時期の私の本音でした。

 

障害があってもなくても差別や区別されることなく、それぞれのできる範囲で生きられればそれだけでいいのになと。

みんな一緒に育ち、こういう人もいるんだと目の当たりにしながら、助けられることにはお互い手を貸し、ヘルパーや看護師や支援員がたくさんクラスに常駐していたっていい、必要な支援は選び、学力に差があったっていい、勉強が得意な子は上の学校でより専門的な技術や知識を学び、それを生かした仕事をする。勉強は苦手だけど他の才能がある子はそれを生かした仕事をすればいい。特に何も特殊技能がない子だって、単純作業といわれる仕事にもちゃんと需要はある。

 

それぞれの個性を認めるって、本当はそういうシンプルなものなんじゃないのかな、とひたすら考えていました。

どうして現実社会ではそれが難しくなってしまうのだろう。

おそらくそれを、これからの年月で目の当たりにすることになるのでしょうね。