この子の笑顔を大切にするために

わが子に軽度障害があることがわかってから。普通級か支援級か、うちの子“普通”じゃないの?悩みながらの子育て&親育ちの思いの記録。

中3、進路

早いもので息子も中3の受験生。先週日曜日に第一志望校の受験が終わり、来週金曜日には合格発表です。支援高校は願書をもらうのも親子で面談、試験当日も親同伴必須で親は控室待機です。11月という早い時期に受験があるのも初めて知りました。

進路は悩みましたが、やはり都立の就業技術科のある高等支援学校を第一志望に。就業技術科や職能開発科のある高等支援学校は数が少なく、それ以外の普通科よりも高度な就労技術を学ぶことができ、障がい者枠での企業就労の可能性が格段に広がります。

 

悩んだ理由は、卒業後は必ず就職という進路を希望している人のみ受験できる、ということ。大学や専門学校でさらに学ぶことを考えるなら受験しないで下さいと説明会では言われました。

実際には、高等支援学校を出ても高校卒業資格がもらえないので、大学受験などは(高卒認定を受けない限り)いずれにせよできません。

ただ、企業就労のための技術を学ぶことに特化した学校のため、2年生から既に企業での実習をさせてもらうなどのカリキュラムがあり、卒業後はそこで働くことを想定して企業も受け入れています。なので就労する気の無い人が来るのは学校としても信用を失い、次年度の就労先にも影響が出かねないから困るというわけです。

 

中3と言っても、2〜3歳の精神遅滞を伴うことを考えれば頭の中はまだ小6程度、そんな子が就職のことなんて考えられるわけもなく、もう3年後には就職なんて親も考え難く。

何故もう少し猶予が貰えないのかと心から思いましたが、その猶予がより就職を難しくする可能性が高いことも徐々に理解できてきました。これはその子その子によりますが、うちの子はIQ的に高卒認定を受けて大学等へというのはかなり大変、且つ自分で仕事を立ち上げるなどの能動タイプでもない。むしろ決まった作業を上から言われてきちんとこなすほうが安心できるタイプであることなど考え合わせると、無理に詰め込んで学歴をつけてもその先が危うく、高校卒業後は早めに仕事を始めてコツコツと経験を積む方が、結果的に本人の幸福度も高くなる気がします。

 

親は中2辺りからこうしたことを考えるようになるのですが、これを理解させるのは本当に大変です。なまじ好きなことを大学で学びそれを仕事に生かしている親の私を見てしまっているので、まだまだ先のこと、と子供自身も思ってしまっており、現実的な話をしようとしても、どこか遠い世界の話のようにしか捉えてもらえません。

 

今回進路のことで、初めて息子と言い合いになりました。現実の厳しさを伝えた上で、こういう進路もある、と話しているだけなのですが、「ママは僕に言うことをきかせようとしている!」と怒り出してしまい聞く耳を持ちません。

反抗期らしいものもなかった子なので、おお、成長してると嬉しく思う反面、このタイミングかぁ~と困ったのも事実です。

 

就業技術科のあるA高校を受ければ、もしダメでも職能開発科のあるB高校を追加志願でき、さらにそれがダメでもB高校の普通科に拾ってもらえるというシステムがあるのですが、B校しか受けないと定員はたったの20名、より難しいA校がダメだった人も追加志願で流れてくるため、かなり厳しい受験となります。

就業技術科でも職能開発科でも、お仕事するための技術を身につけるという目的は同じ、ならばチャンスの多い受け方をしたほうがいいのでは?と話しても、僕はB高校がいいからA高校は受けない、の一点張りで、もうこれは仕方ないと私は半ば諦め状態でした。

 

その状況を出願ギリギリでひっくり返したのは、主人の言葉でした。

主人が話したのは、ママもパパも君より先に死ぬんだよ、そうしたら1人でお金を稼いで暮らさなきゃならない。A校を受けておけばチャンスが広がりお金を稼げる就職ができるかもしれないけど、B校しか受けずに普通科になったら厳しいよ、という話でした。

 

私も似たような話をずっとしてきたつもりでしたが、やはり現実に日々苦労している主人の言葉は重かったようです。

何より、ママもパパも自分より先に死ぬ、というのが一番のショックだったようで😅💦ママはそんなこと教えてくれなかった!早く言ってほしかった!と責められ、えぇ~💦中3でそれ?となりましたが、この子達にしたらそうなんですね💧

 

とりあえず、ストレスで過敏性腸症候群を再発することもなく無事?受験を終え、あとは神様が一番息子にいい進路を示して下さると信じるのみです。

中学1年生のトラブル その後

前の記事のその後。かなり大変な思いを親子ともにすることになったので、忘備録的に記したいと思います。


私が学校に説明し、学校側も理解してくれて謝罪があり(障害特性を理解してもらえればそれで良かったので、別に謝罪していただく必要もなかったのですが)、これで一安心かと思いきや、既に子供本人の心にはかなりのストレス負荷がかかっていたようです。
先生とのやり取り以外にも同じ支援級の上級生とのトラブルもあったようで、口が達者で思ったことをストレートに言ってしまう&ルール違反や間違ったことが見過ごせない我が子は、三年生から目をつけられ、休み時間一言も喋るなと言われたり色々揉めていたことも判明しました。

最初はひどい下痢と吐き気で、小児科でも胃腸炎の薬が出されたのですが、夜になるとお腹が痛いとトイレに駆け込み、ガスでお腹がパンパンに膨れてしまって胃が圧迫されて吐き気が治まらず、トイレに顔を突っ込んでゲーゲーえづくものの何も出ず。

これを夜中の0時頃まで何時間も繰り返し、そのうちやっと下痢とともにガスが抜けてお腹がへこみ疲れ果てて眠る、しかし朝になるとお腹の違和感で目覚め、朝ごはんを食べたらすぐ腹痛でトイレに駆け込み、登校時間ギリギリにやっと青い顔で出てきて、泣きそうになりながらも真面目な性格が災いして「休みたくない」と学校までの長い道のりを登校、という状態に。
学校へは無理やり行くのですが、寒い時期だったのもあって結局またお腹が痛くなり、授業中もほとんどトイレにこもって授業も受けられない。「早退は嫌だ」と先生の説得に応じず、学校からの連絡で迎えに行ったこともありました。

急激なお腹の膨らみと痛がる様子に、最初は腸閉塞?!と焦りましたが、ガスと下痢は出るので違う。しかしとにかく毎日毎晩その状態が続き、短時間しか眠れないし、常に胃がおかしいのでやわらかいものしか食べたくないと言い、病人食のようなものをほんの少ししか食べられなくなって、2週間ほどであっという間にガリガリに痩せてしまいました。

もうこの時点で“過敏性腸症候群”の文字が頭をよぎっていたのですが、とりあえず小児科でレントゲンやらウィルス検査をとことんやり、医師の見解も「まだ今の段階では診断には早いけどたぶん過敏性腸症候群」とのこと。
精神科的アプローチもあるけど、まずは身体的アプローチをしましょうとのことで、便秘改善薬(マグミットを処方されました)で強制的に便通を起こしてガスがたまらないようコントロールすることに。

これが功を奏し、既に学校でのトラブルは落ち着いていて、自分の身体の異常の方に本人の関心も移っていたので、腹痛と吐き気が治まって来るにつれ、精神的な安定も取り戻すことができました。


それでもすべてが落ち着くまで約2ヶ月間、親も振り回されこちらの体重も少し落ちたほど(笑)。急な腹痛が心配だと言うので朝は途中まで付き添って登校していたので、そのせいかもしれませんが。

とにかく怒涛のような2ヶ月間でしたが、学校関係でここまでトラブルを被ったのが初経験というのは、今までが本当に運が良かったのだろうとも思います。

中学校支援級でのトラブル

早いもので、我が子も中学校入学です。地元中学の支援級へ進学したので小学校の支援級とも交流が多く、1年担任が支援専門の先生だったこともあり(支援級担任でも、支援を専門に学んだ先生ばかりではないのが実情です)、安心してお任せしていました。

 

しかし、やはり中学校は小学校のようにはいかなかった。。。1年担任は障害特性をよく理解した支援をして下さっているのですが、同じ支援級の他学年担当の先生から受けた指導で、一悶着起きてしまいました。

本人にはそのつもりのない発言を他者を馬鹿にした発言とその先生が取り違え(ASD特有のものの見方が原因でした)、数日に分けて何回か放課後に残されて、差別はいけないという話をされていたようです。

 

実は私がひっかかったのは、本人の意図を取り違えられたことよりも、数日に分けて何回もの説明をゆっくり行いましたという先生からの報告でした。

これはASDの障害特性をわかっているならあまり良いやり方だとは思えません。そもそも息子は自分が差別的発言をしたつもりがないので、あの話がどうして差別の話になるのか??と混乱していたようです。おそらくそれをなんとかわからせようと何回も話をされたのでしょうが、本人は良くも悪くも素直なため、“自分が話をすると気付かぬうちに差別的なことを言ってしまうらしい” と思い込み、少しパニックを起こしていました。

 

もちろん意図を取り違えられるようなKY発言をしてしまうこと自体に問題があるので、指導は必要なのですが、専門知識のある先生であれば障害特性から出た発言だとわかった上で、もっと簡潔な指導をされたと思います。息子も自己否定してしまうような思考に陥ることもなかったでしょう。

担任からの連絡があったから早く気付くことができ(息子の思考回路からは有り得ない話だったので、すぐおかしいとわかりました)、息子と学校両方に事実関係の確認とフォローを入れることができましたが、よかれと思ってこうしたことを積み重ねられていたらと思うと正直ゾッとしました。

 

どうも息子のASDも全員の先生に伝わっていなさそうな気がしたので(わかる人が見れば一目瞭然なのですが・・・)、そこも角が立たないよう気を付けつつしっかりと伝えました。どう話を進めればモンペと思われず且つ先生を傷つけず話せるか、言葉選びに悩む、胃の痛い数日間でした。

 

小学校の支援級が恵まれ過ぎていたので、私的にはかなりショックが大きかったのですが、支援級でもこの状態では、知的な問題の無い発達障害の子供達はどんなに大変な思いをしていることだろう、と改めて考えさせられた出来事でした。

ゲームデビュー

昨年11月頃、11才間近になってはじめてゲームを買い与えました。ゲームデビューです。
これは本人が全く興味を示さなかった、というのが大きく。主人はゲーマーといっていい過去があり今でも自室に多種のゲーム機やソフトを所持していますし、私も一緒にオンラインゲームをしていた時期もあり、決して我が家がゲームを否定していたわけではありません。

お友達がニンテンドースイッチなどのゲーム機を持って来ることも増え、ゲームの話が始まると蚊帳の外になってしまうので、そろそろ自分で時間管理できる年だし買ってもいいよ?と勧めても、僕は要らない、と言うばかり。

むしろ、冬に室内で身体を使ったゲームができそうだと、私が率先して中古のwiiを購入したのでした。wiiをあえて選んだのはテレビ画面でしかできないから。親の目が届くし、遊びに来たみんなでできるのもいいなと。(もうすぐwiiは修理対応期間も終わってしまうようで残念です)

そして、最初は不器用で細かいリモコン操作がうまくいかず、フィットネスソフトでひたすら一時間以上自転車こぎばかりしていた息子が、マリオカートにはまったのでした。
いつもながらはまった時の成長(?)は凄まじく。半月ほどであっという間に上達してスイスイと難しいコースも一位でクリア、隠し要素のようなものやタイムアタックに次々チャレンジしていく姿にやや唖然としています(笑)

最近はお友達も、全く勝てないので誰もマリオカートは一緒にやってくれなくなってしまい、唯一越えられない壁としてパパが頑張っています(ゲーム雑誌の全国一位で名前が載ったほどのオタクだったらしく、今の仕事もコンピュータ関係)。おかげで今までパパに対して苦手意識があったのが一転、尊敬の対象に(笑)。対戦してほしくて帰りを待ちわびるまでになりました。

たかがゲームなのですが、自分もできる、人より得意、という心からの自信が生まれてきたようです。やや鼻にかける言動が出てきたので、それは違う、本当に凄い人は鼻にかけないし人を馬鹿にしない、といった話もできるきっかけになりました。他者にあまり興味がない上になかなか自信が持てない子だったので、今までそうした話すらする機会がなかったのです。

発達障がいの子供とコンピュータは相性がいいとはいいますが、本当にゲームも使いようで面白い効果を生むものだと感じています。

母の日の肩たたき

母の日。私は肩たたき券やお手伝い券を嬉々として作る子供でした。そこまで感謝していたかは正直不明ですが、そうすることで母が喜んでくれることを知っていたから。母が喜ぶのが嬉しくて、手作りの折り紙カーネーションなど一生懸命作った記憶があります。

対して我が息子は、幼稚園や小学校で母の日の何かを作ってきても、それを私に渡せば喜ぶだろうといった想像力がないのか特にアクションもなく。しびれを切らした私が「あ、こんなの作ったんだね♪」と驚いて見つけたふりをしても、「うん。」で終わり。今思えば、手先が人一倍不器用だった息子にとってはカード作りや工作は苦痛以外の何ものでもなく、それが母の日のプレゼントであるという意識そのものが無かったのかもしれません。

良くも悪くも取り繕えない子なので、私のことが大好きなのはわかっているものの、他のお母さん達が何かの折に子供からのサプライズや優しい言葉に成長を感じて涙した、というような話を聞くと、うちの子はやっぱりそういう感性が普通の子とは違うのかな、ASDの特性もあり自分の世界が大きい息子にとって、他者がどう感じるかを慮るのは難しいようで、そういうのはうちは一生無いのかもと思い始めていました。

 

そして今年の母の日、義母へのプレゼントにお花を買いに行った際。冗談めかして「ママは何がもらえるのかな~」と一緒にいた息子に言ったところ、ちょっと考えて。

「肩たたき100回するね」とその場で肩たたきをはじめ、本当に100回以上叩いてくれました。私が最近、肩と首が痛いと言っていたからだと思います。

5年生にして初めての母の日らしい?反応をしてくれた息子。相手の望む反応をしようと顔色を伺う子になってはいけないけれど、やはり気持ちは見えないものだからこそ言葉や形で表現する必要もある。自分視点が大きすぎて相手の望む反応とは微妙に違った言動も多い息子ですが、その成長に安心し、素直な優しさの表現にちょっと感激しました。

 

今週のお題「母の日」

子供たちには壁はない

最近思うのは、子供たちには、支援級の子、普通級の子という壁は思ったより無いんだなということ。

子供の外遊びの会のようなものを学校近くの大きな公園で週に一回やってくれているのですが、どうやらうちの子は誰にでも屈託なく「一緒にやろうよ~」と声をかけているらしく、終了時のお手伝いに行くといつも、学年もクラスも関係なくごちゃごちゃにハンモック等に入って楽しそうに遊んでいます。
未就学の小さい子なんかもよく相手してくれてますよと主宰の方に言われ、ひとりっ子の超甘えん坊なのに?!と驚きましたが、これは支援級で下級生のお世話や引率をする機会が多い賜物だなと思います。
こういう外遊びの会などに積極的に参加するお子さん(ご家庭)達だからこそ、考え方もおおらかで差別的な言動も少ないのかもしれませんが。

またこんなこともありました。
たまに遊びに来ていた普通級の4年生の子で、支援級の6年生の子に向かって、今習っている算数の内容を「俺はもうこんなのやってるけど。こういうのは習わないんでしょ?」と明らかに馬鹿にしたように話す子がいました。
「支援級でも小学校の算数の内容は全部ちゃんと習うんだよ。やる順番は違うけどね(基礎のみになりますが実際そうです)」と説明しましたが、支援級の子はカチンときていた様子で(LD傾向のみでコミュニケーション力はむしろ年齢以上の子でした)、後からどうもその二人は揉めたらしいと聞きました。
どちらもうちの子とは普通につき合ってくれていますが(うちの子は良くも悪くも気付かない子)、普通級の子は、上級生と鉢合せする可能性のある私の家には来なくなりました。

こちらのケースは、壁というよりは、おそらく大人の刷り込んだ「支援級の子は劣る」という情報を鵜呑みにして馬鹿にした結果、年下のくせに馬鹿にするなと逆にやり込められたかなと思います。ある意味実に健全な男子同士のやり取りだなとその話を他の子から聞いた時には感じました。(うちの子はそういう他者の関係性に全く興味がないので、情報は常に周囲から入ってきます(苦笑))

多分、子供同士は色々な個性の子供として、特に壁や逆に腫れ物に触るようないらぬ気遣いもなく、時にはぶつかり合いながらごちゃごちゃと上手に暮らしていく力があるのです。
大人が吹き込む差別的な言動や、気遣いに似た憐れみ、区別、そうした大人の事情に毒されて、壁が作られていく気がしてなりません。

あさイチの特集より

NHKあさイチ不登校の特集をしていて、夏休み明けで少し学校へ行きたくないモードだった我が子のことを考えながら視ていました。
2年生頃の方がほぼ毎週末そういうモードで心配でしたから、今の我が子は単に夏休み遊びすぎた反動だな(笑)という感じではあります。
とはいえ、やはり思春期にはただでさえ色々難しいらしい男の子。小学生のうちは大丈夫でも、中学以降ハンディを抱える我が子にとって他人事ではなくなる可能性を考え、情報のひとつとして覚え書きを。

・ありのままでいいと親が本気で思える(不登校状態であろうがなかろうが大事な我が子)
・未来の我が子より今の我が子(ここにいない“未来の我が子”への期待や親の焦りが不登校児を苦しめる)

ここまで書いて、あれっ?と気づきます。これって“不登校”を“障がい”に置き換えれば、発達障がい児の育児で大切なことと全く同じでした。
他に気になったキーワードを数点。

・子への期待は決して悪いものではない。しかし、今の我が子を認めずに未来への期待ばかりを口にしていたら、親子関係が破綻する。
・第三者から認められることが、本人の自信になる。(親子関係以外の要素を取り込む必要性)

不登校状態の時は、既に本人は悩み疲れて体力気力がゼロまで落ちている状態。それを無理に動かそうとしても壊れるだけ。なにがなんでも学校へ行かせなきゃ!という考えを親が一度捨てる。安心できる環境で回復させればいずれ学校に向かう気力も沸いてくる。

番組ではフリースペースなどの学校以外の居場所で自信を取り戻したケースや、言葉が足りなかった父親が本音を話してくれたおかげで自分を認められるようになったケース(これはまた別の問題が潜む気はしますが・・・)などが紹介されていました。
多分定型発達で知的な問題もなく、少し親の気持ちなどを強く読み取れてしまう“いい子”が陥りがちな不登校パターンを今回は特集していたので、いじめなどで不登校になったケースであればまた別の見方があると思います。
ただ、親の心のあり方というか、大切なことは同じなんだなと。事象に振り回されず、子育ての基本に立ち返ることが大事なのだなと感じました。